今日は寺山修司の命日です。仁科 秀昭今日は寺山修司の命日です。ボクは寺山さんが亡くなる前年、劇団「天井桟敷」に在籍していました。ある時、演出プランを練るための劇場模型を作っていたら、寺山さんが後ろを通りかかり、「今度の模型はよく出来ているね」と、誉めていただきました。天井桟敷ではいくらお金を積んでも学べないことを学びました。寺山さんには大感謝です…(合掌)。今日は寺山 修司の命日らしい。(1935.12.10 - 1983.5.4)日本の詩人、劇作家。演劇実験室「天井桟敷」主宰。「言葉の錬金術師」の異名をとり[要出典]、上記の他に歌人、演出家、映画監督、小説家、作詞家、脚本家、随筆家、俳人、評論家、俳優、写真家などとしても活動、膨大な量の文芸作品を発表した。競馬への造詣も深く、競走馬の馬主になるほどであった。新聞や雑誌などの紙面を賑わすさまざまな活動を行なった。昭和58年、東京都杉並区永福在住中、阿佐ヶ谷の河北総合病院に肝硬変のため入院。腹膜炎を併発し、敗血症で死去。47歳没。戒名は天游光院法帰修映居士。。。とある。大変シャイであった記憶があるが話題の人物だった。やる事なす事が全て取り上げられ、時代の寵児だった。カルメンマキの「時には母のないこのように」や「明日のジヨー」主題歌も彼の作詞だった気がする。兎に角多才であった。(永山資久さんより)