井上 淳一(シナリオライター)写真・7/7の『革命の子どもたち』のトークショーで重信メイさんらと、若松孝二監督の写真を囲んで7月8日今だから書けることなのだが、若松プロにいた30年近く前、毎年年末になると、若松孝二さんはレバノンに出かけて行った。日本赤軍の皆さんに会うためにだ。「アイツらがいなかったら、家が一軒建っていた」と若松さんはよく言っていて、その真偽は定かではないけれど、旅立つ前なると、「アイツらが納豆食いたいって言ってるんだよ。革命やってるのにゼイタクな」と文句を言いながら、二人でフリーズドライの納豆を探しに、伊勢丹まで行ったりした。その納豆を「猫に小判だな」と言われながら、重信メイさんが食べていたと昨日のトークショーで知り、何とも言いようのない気分になった。あの頃は、メイさんどころか、足立正生さんとだって、生きて会うことがあろうとは思ってもみなかった。先日の蓮池透さんもそうだけど、人生ってやつはホントに分からない。しかし、こうやって平気で書いているけど、メイさんの母親である房子さんのことなんて、国際的テロリストと思っている人も多いんだろうな。そう思っている人にこそ、『革命の子どもたち』を観て欲しい。9.11以降、ゲリラという言葉はすべてテロリストいう言葉に置き換えられるようになった。抵抗運動や自由を求める闘いもすべて「テロ」と呼ばれるようになってしまった。人よりちょっとやさしく、ちょっと感性が豊かで、虐げられた者の側に立ち、その人たちのために何かしようと思った人たち。我々がよく間違うのと同じように、彼らの行動にも間違った選択があったかもしれない。でも、ネットも何もない時代、彼らの「武装闘争」がなかったら、パレスチナの問題は世界の知るところになったであろうか。若松プロにいたおかげで、僕は「テロリスト」が、納豆を食べることを知っていた。『おしん』のビデオを心待ちにしていることも知っていた。僕がいま、なんとか映画の世界で生きていられるのは、あの頃の日々があったからだ、と改めて思う。http://www.u-picc.com/kakumeinokodomo/(※昨日7/7の『革命の子どもたち』のトークショーでは、司会の小林三四郎さんが若松さんの写真を持ってきて、舞台上で、若松さん、メイさん、三四郎さん、僕と四人で写真を撮ったのだけれど、宣伝部がまだ送ってくれないので、ネットから拾ってきた写真をアップします。PANTAさん、鈴木邦男さん、勝手にお写真使って、スミマセン)。