『渡辺護の映画四十八手』facebookページの最新記事をシェアいたします。****************************************************『映画監督 渡辺護 について』 (井川耕一郎)1931年3月19日東京生まれ。少年時代から浴びるように映画を見て育つ。50年、早稲田大学文学部演劇科入学後、八田元夫演出研究所に入り、本格的に演出と演技について学ぶ。TVドラマの役者、脚本家、TV映画・教育映画の助監督などを経て64年に助監督としての能力を買われてピンク映画界へ。65年に『あばずれ』で監督デビューする。若松孝二がスキャンダラスな話題をふりまきながら黎明期のピンク映画を社会的に認知させていったのに対して、渡辺護がピンク映画の中で果たした役割はその質的な向上だった。少年時代から培ってきた映画的教養と新劇の舞台で学んだ演出をふまえ、渡辺は撮影所の映画に負けない映画作りを推し進めていった。1970年に大和屋竺の脚本で『おんな地獄唄 尺八弁天』、『(秘)湯の町 夜のひとで』を撮ったあたりからピンク映画を代表する監督として認められるようになり、71年、大久保清の事件を描いた『日本セックス縦断 東日本篇』が大ヒット。年に12本以上の映画を撮る職人監督となる。70年代以後は、新人を発見し育てる監督でもあった。渡辺は、東てる美を『禁断性愛の詩』(75)で、美保純を『制服処女のいたみ』(81)で、可愛かずみを『セーラー服色情飼育』(82)で主演デビューさせている。また、荒井晴彦、高橋伴明、小水一男らも、渡辺のもとで脚本を書いていた時期があった。1984年、勝田清孝の事件を描いた『連続殺人鬼 冷血』で一般映画に進出する一方で、渡辺は80年代に入ってからもピンク映画を撮り続けたが、AV的なものを求められるようになってきたことに違和感をおぼえ、ピンク映画界から離れていく。カラオケビデオの監督を経て、1993年、二本目の一般映画『紅蓮華』(出演:秋吉久美子、役所広司)を撮る。その後もオリジナルビデオなどを監督するが、2000年代に入ってからは、監督としての自分を育ててくれたピンク映画への復帰を目指すようになる。2008年に『喪服の未亡人 ほしいの…』を監督。2009年からは「渡辺護自伝的ドキュメンタリー」(全10部)の撮影に参加。カメラの前で自分の人生とピンク映画史について語る。2013年、ピンク映画を応援する二つのグループ、PGとぴんくりんくから、「ピンク50周年記念映画」の監督を依頼される。快諾した渡辺は『色道四十八手 たからぶね』の準備に入るが、11月に外出先で倒れる。検査の結果、大腸がんであることが判明。自宅療養中の12月24日に亡くなった。『色道四十八手 たからぶね』は、脚本を書いた井川耕一郎が渡辺に代わって監督し、2014年に完成した。(文:井川耕一郎)**********************(以下、旦 雄二 記) この井川耕一郎さん監督・脚本による、ピンク映画50周年記念映画『色道四十八手 たからぶね』(企画・原案:渡辺 護)が、10月4日(土)から 渋谷のユーロスペースにて ついに公開されます。応援させていただいております。みなさま、この映画にどうぞご注目ください!製作・配給:PGぴんくりんく35mmフィルム/ビスタ・サイズ/71分/R18+