『BIUTIFUL ビューティフル』(2011)♫ラヴェル「ピアノ協奏曲ト長調」 2011年のアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督の『BIUTIFULビューティフル』(原題Biutiful)は、情感豊かで、深く心が揺さぶれられる映画だ。主人公ウスバルを演じたバビエル・バルデムの存在感が、『海を飛ぶ夢』(2004年)や『ノーカントリー』(2007年)を軽く凌駕して、不気味に底光りしているからだ。 ウスバルは、スペイン・バルセロナの薄汚れた裏社会で、犯罪同然の危ない仕事に手を染め、生き延びている犯罪のチンピラだ。時には死者と交信できる霊能力者と小銭稼ぎをする一方で、幼い頃生き別れた自分の父親の姿を探し求めている。また小さな子どもたちにとっては献身的な父親だが(表題は末娘が書いたスペルミス)、いまだに苦痛の種である躁鬱病の元妻とも縁を切れないでいる。それでも彼は「受難」が足りないのか、彼は末期ガンの宣告を受ける。 イニャリトゥ監督は、黒澤明監督の『生きる』にオマージュを捧げつつ、主人公の「受難」が際立つように演出。生と死、肉体と精神、罪と罰といった二律背反する要素をくっきりと共鳴させている。 それゆえ、子どもたちの未来を模索し、ガンの痛みに耐えながら街を彷徨うウスバルの姿は殉教者キリストのように見える。しかし、死にゆく彼よりも、悲惨な生き方しかできない元妻も、セネガルや中国から来た仲間の不法労働者も、彼は霊能者なのに、誰ひとりとして救済できない。これがどうにもやるせないのだ。 主人公ウスバルの目を通じて、誰も目を背けたくなる悲しい現代社会の歪みが描かれる本作では、観る者も最後の最後にようやく自由に解き放たれる。まるで鎮魂歌のように流れるモーリス・ラヴェルの「ピアノ協奏曲ト長調第2楽章アダージオ・アッサイ」が、十字架をズルズルと引きずる殉教者キリストのテーマ音楽のように、クライマックスで美しも悲しく響き胸に突き刺さるのだ。 そのラヴェル「ピアノ協奏曲」は、フランスの作曲家モーリス・ラヴェルが最晩年の1931年に作曲した2曲のピアノ協奏曲のうちの一つ(もう一曲は「左手のためのピアノ協奏曲」である)。2曲は同時に作曲され、「ピアノ協奏曲」は「左手のためのピアノ協奏曲」の1年後に完成。ラヴェルの死の6年前で、最後から2番目の曲にあたる。 重厚な「左手のためのピアノ協奏曲」とは違って、対照的に陽気で華やかな性格を持ち、ユーモアと優雅な叙情性にあふれている。ラヴェルの母の出身地であるスペイン・バスク地方の民謡、ラヴェルが1928年から行ったアメリカの演奏旅行で「盗んできた」ジャズのイディオムなど、多彩な要素が用いられている。 中でも第2楽章アダージオ・アッサイは、叙情的なサラバンド風な10分弱の楽章である。冒頭のピアノ独奏は、全108小節の3分の1にあたる33小節あり、時間にして約2分間ほどと長大だ。監督のイニャリトゥは、このCDを聴いて、物語を着想したそうである。 実は本当に好きな曲で、いわゆる名演奏といわれるレコード盤をしこたま持っている。ピアニストのとっては技量を試される曲で、サンソン・フランソワ、アルトゥーロ・ベネディッティ・ミケランジェリ、マルタ・アルゲリッチ、エレーヌ・グリモーなどのバージョンなどがあって、全部買い漁って聴き比べている。やっぱり第2楽章が極め手だ。いつもピアノとフルートやオーボエなどの掛け合い(インタープレイ)になると、涙が出てしまうのだ。 僕は美人に目がないタイプで、男性演奏者も好きではあるが、エレーヌ・グリモーがヨーロッパ管弦楽団と演奏したバージョンが大好きだ。この第2楽章での恍惚とした表情には、天上の美が集約されていると思う。すばらしい出来だ。Ravel Piano Concerto 2M(2/3) Hélène Grimaud V.Jurowskihttp://youtu.be/O3S1fcRFIUc