樋口 尚文中川安奈さんが天上に旅立たれてしまいました。ご本人から病気のことは伺っていましたが、しかし余りにも急なことで現実を許容しがたく、訃報に接してから今まで安奈さんについて何も話したり書いたりする気持ちが起きませんでした。安奈さんの不在によって、自分が安奈さんに施されてきたものの(思いがけないほどの)大きさを思い知らされ、毅然と輝くように生きてきた安奈さんには到底お目にかけられないような、だらしないほどの涙がやまず、放心しております。安奈さんは、私の監督作『インターミッション』で映画に殉じ死に急ぐ倒錯的な女優をアンナという役名で演じてくださいました。超大作『敦煌』の王女役でのデビューで知られますが、ここのところは演劇中心の活動でしたから、映画ファンは『インターミッション』の気品とスケール感たっぷりの「映画女優」健在ぶりを見て、大いに驚きかつ喜んでくれました。安奈さんもずっと、あの安奈さんのために当て書きした役柄と、あの愉しすぎた撮影の日々をとても大切に思ってくれていました。この写真はちょうど二年前、クランクアップの後の今はなき銀座シネパトスの前でのものですが、御主人の演出家の栗山民也さんが、このスナップの安奈さんの表情を気に入ってくださって、安奈さんをめぐる報道に提供されていると聞き、また二重に胸にしみました。安奈さんは本当に栗山さんを尊敬して愛情を捧げておられました。『インターミッション』では一度病いで絶命したアンナは、時ならぬ大地震にびっくりして息を吹き返します。カール・ドライヤー『奇跡』への罰あたりなオマージュです。あんなばかばかしい出来事が起こって、安奈さんがけろっと、あのいつもの悪戯っぽい笑い声とともに甦ってくれないものかと、私は本気で祈っています。さようならは、まだ到底言えるものではありません。