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耳に残るは君の歌。ふと気づくと♪まぁいこぉはぁ、レディ~♪と頭の中でリフレインしている。 つかみは、オッケー。 周防雅行の作品は基本的にコメディだと思っていたが、 「それでも僕はやってない」が"社会派"と受け取られヒットしてしまったもので「いや、ぼくはコメディが…」といえない雰囲気になってしまったんだろうねぇ。「それぼく」も十分コメディの要素があったと思うんだが、そこんとこは無視されちゃったもんね。 ともあれ、そんなわけで久々にコメディに戻ってきた周防作品が「舞妓はレディ」なのである。タイトルからして「マイ・フェア・レディ」のパロディであり、当然(?)ミュージカルなのだ。「ピグマリオン」のもじりならミュージカルにはならなかったろうが…。ピンク時代の作品にもパロディものがあるくらいの人なので、もじるときにはきちんともじる。言語学者が出てくるわ、賭けをするわ、極めつけは「スペインの雨」である。といっても「マイ・フェア・レディ」をご存じない方には何のことやら、だろうが。と書いてて不安になった。 「マイ・フェア・レディ」、知ってますよね? 映画ではオードリー・ヘップバーンがロンドン下町の花売り娘イライザを演じ、言語学者のヒギンズ教授の特訓を受けてナマリを克服し上流階級の仲間入りを果たすというシンデレラストーリー。で、ナマリ克服のキーポイントが盛り込まれた練習文が「スペインでは雨は主に広野に降る」というもので、その練習風景が「スペインの雨」というナンバーになって歌われるわけです。 「舞妓はレディ」ではこれが「京都では雨は主に盆地に降る」と歌われるんですな。これには、笑った。さすが、映画大好きな周防監督、ヤッタネ、と思ったわけだ。他にもあって、セット撮影見学にいったとき、セットに建て込まれたいろんなお店がみんな「マイ・フェア・レディ」にちなんだ名前になっているというくらい、徹底しているんだよね。そんなとこまでお客さんは見てないだろうに、作り手が楽しんでいる。いいなぁ。 さて。本作、「京都では舞妓のなり手が少なくなって困っている」というニュースから思いついた企画なんだそうだが、舞妓になりたくて京都にやってくる女の子、舞妓の条件は何かといえば若いことと京都弁、として「マイ・フェア・レディ」にくっつけるとこのアイデアがさすが、なのだ。ナマリといっても日本中標準語が蔓延しているきょうび、そうそうナマリを矯正するシチュエーションなんて作りにくかろうところを周防監督うまぁぁくクリア。鹿児島弁と青森弁のハイブリッドという少女を誕生させた。円ずるは鹿児島とも青森とも京都とも関係のない16歳、初主演の上白石萌音。丸顔が日本髪によく似合い、さらに歌って踊れる逸材。存在感命のほぼ素人を主役に周りをくせ者のベテランでかためるという周防式でもり立てる。役者をみる楽しみ、芝居を見る楽しみもたっぷり、である。 日本映画では珍しいミュージカル仕立てのウェルメイド・コメディ。楽しんでいただけると思います。
「美女と野獣」 「ジュヴォーダンの獣」のクリストフ・ガンズ監督の作品なのでもっとアクションよりかと思ったら意外にラブ・ストーリー。 ベルが能動的な女性になっているのはディズニー版とも共通する現代化。監督としては野獣がなぜ野獣になってしまったかを描こうとしたそうな。そこにも超自然的なラブ・ストーリーが絡んでいるという設定にしてあるのが、ミソ。ジブリ好き日本映画オタクの面目躍如といったところ。参考にしたのが「大魔神 怒る」だそうな。 面白かったのは、ベルの時代をナポレオン一世時代に、野獣が人間だった頃をそれより300年ほど前に設定したところ。19世紀に入ったばかりと16世紀ころ。近代市民社会の始まりの頃と絶対王権確率の頃。封建王制がいいとはいわないけれど、物語的にいえば市民革命後に帝政をしいたナポレオン一世時代というのは、商人が財力を蓄えそれをもとに一種の"貴族"階級的特権を手にした時代。ベルの一家はまさにそんな商人貴族で、ベル以外の家族たちはお金を持っていることが身分保証になると考えている。それに対して野獣が人間だった頃は超自然の神聖なる存在があり、目に見えない形にならない感情=愛がお金などの物質より上位に存在していた、ということにしている。と、思う。どうも考えすぎみたいだが。 この二つの時代の対比と美女と野獣の存在のギャップが、この21世紀版「ベルとビースト」の見所ではないかと私は思う。